森博嗣『クレイドゥ・ザ・スカイ』読了。
文庫初版帯には既に映画版『スカイ・クロラ』のスクリーンショットが掲載されていて、解説は押井守。
出版順ならば『スカイ・クロラ』シリーズ長編最終巻に当たるが、時系列では『フラッタ・リンツ・ライフ』の後、『スカイ・クロラ』の前。
病院を抜け出した「僕」。飛行機に乗る事を、頭のどこかで望んでいて、空に憧れる。
「僕」が誰であるか明かされないまま物語が進行するが、時系列は既知なので、『スカイ・クロラ』で述べられた事を真とするのであれば、それなりに確かな推測は立つ。これがミステリィであるかは、まあ置いておいても、地の文で述べられたことは真、というミステリィに於いて確かな保証となり得る読者側と作家側が対等に持つ条件が無い以上、推測の域を越えないのがもどかしい。
フーコって、全ての物語で、中心でない場所を踊って居る様な存在で、結構重要。映画版では随分外見が変わっていたけれど。
キルドレという存在を、キルドレ側で語られる。大人になる事を保証されている僕が読む視点(支点)は、キルドレとのギャップ、子供としての共感と、大人としての反感を併せて持っている。空に居ない僕は自由でないのかもしれない。軽くない自分は格好悪いのかもしれない。まあ、でも、大人として、子供の心、それは子供でなくても持てるもののはずなので子供の、と言うのはおかしいが、子供の時から持つことの出来る心を、大人になる今も大切に持ち、成長したい。
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クレィドゥ・ザ・スカイ (中公文庫 も 25-7) |
毎回SQL文で検索していたら、それはそれで訓練だろうが、シェルスクリプトを書くとか、ユーザ側で対処すれば一時的にでも良いのでは。
テーブルが管理出来なくなるくらい多数、というのは問題だな。1つにまとまっていた方がまだ良かった。
最初の設計が如何に大事か、という事を教えてくれる事例。