0から1までの確率の大きさを示す値を入出力するスイッチが作れる、ってそれはアナログスイッチか。
まあ、PCは本として文章を表示するには画面サイズが大きいし、他の電子書籍端末にしても本より遥かに解像度が低いものだ。何らかの支障が出ていてもおかしくない。事実、僕もiPod touch(第2世代)のStanzaで文章を読んでいるが、1画面当たりの文字数は少ないから速読はあまり出来ないし、見易くはない。
コントラストとかガラスの影響が考えられるらしい。こういう試験が繰り返されて、良いものが出てくれれば問題ない。
最近になって1815/1015を使い始めたのに、なんという事態。こんな流れがあるとは知らなかった。
でも、秋月電子通商で買ったパックがまだ幾つかあるので、趣味の工作には使い続けることだろう。代替は、これからゆっくり/.Jのコメントを読んで把握しておく。
単純な端子の改造。これが、真のライフハックだろう。ただ、入れることは出来ても、それで極性を正しく判別して電流の向きを制御しなければいけないのだが、大丈夫だろうか。
USBも向きの判別が難しい。何とかして欲しいものだ。
「The Buzzer」停止。
極稀に流れたロシア語は何を言っていたのだ。暗号なのか。しっかり録音されていることがまず怖い。
動作チェックに使われているなら公表しても良さそうなものなのに、異常に興味を掻き立てられる気味悪さがあって、止まってもなお不安。
専用端末としての電子書籍リーダ、マルチメディア端末としてのiPad。コンテンツと、それを見せるためのサービス/クライアント。
iPod touchを買って約1年、Pocket Wifiと共に結構活用している。もう無しには生活出来ないくらいに。音楽もPDFもあれこれ入れて、暇な時に活用している。
今週金曜日にiPadが日本で発売される。予約はしていないし、買うのかも決めていない。どちらかというと、自分が作成したソフトウェアを動作させる/安く配布することが出来るAndroid端末に魅力を感じている。しかし、既存コンテンツの充実具合は恐らくiPadの方が上だろう。すぐ完成したものとして使うのか、自分で育てる道具として使うのか。どちらの性質も欲しいところだが、上手くいかないものだ。
サービスに応じた端末を使ってもらうのか、端末に応じたサービスを使ってもらうのか。発想の幅は前者の方が広い気がするが、その分難しいだろう。既にある環境/戦いの場としての「端末」が浸透していれば、後発でも「コンテンツ」だけでライバルに勝てる可能性がある。
もう、そういうことを考えなければならない時らしい。
それにしても、iPad対抗だのなんだの言われてプロトタイプが幾つも発表されているタブレット端末はちっとも日本で発売されない。iPadすらまだ発売していない。そんな中で、何を信じれば良いんだ、というのは冗談で、将来はきっと、屋外屋内兼用デバイスとしてタブレット端末と携帯電話というスタイルが普及して、家ではインターネットに繋がったテレビとノートパソコン、というスタイルが一般化するのではないか。デスクトップパソコンは、もう要らないだろう。
まだSonyのロゴが印刷された青い紙箱にフロッピィディスクが10枚くらい余っていたかなあ。Windows用リカバリディスクの作成時とか、フロッピィディスク1枚に収まるLinuxで遊んだり、USBメモリがまだ浸透していない頃に、結構お世話になった。
父が使っていたFM-7にも5.25インチドライブがあったし、自分が初めて手に入れたノートPCにも3.5インチドライブが付いていた。
1つの歴史の終わり。Aドライブは永久欠番になるのだろうか。
SoftbankのPOP-i と違って、ミドルウェアは共通化に含まれないとか。
Android端末が広まっていくと思ったところで、まだSymbain OSやLinux端末のためのプラットフォーム開発を始めるとか、なんだか遅い気がするなあ。これからどう共通化して、どう世界に広めて、どう認められていくのか。
そしてSoftbankのPOP-iはどうなったのか。シャープはどちらにも参加しているな。
GPSでカメラ位置を測定(宇宙から)、車との2点間距離と時間から速度を割り出し。
宇宙からお仕置きビームでも降ってきて、違反車両を懲らしめるくらいしてくれないと。
ふと、高校生の時に、どうして法定速度をオーバ出来る乗り物が売られているのだろうと友人に質問して、すぐに適切な答えが返ってきたことを思い出した。